日本語教師が出会った「おもしろい中国」
こんにちは! ご覧いただきまして、ありがとうございます!
ダグ嫁です(^ー^)
日本語教師をしていた時の話を記事にしましたが、
その時に出会った「おもしろい中国」集めました。
中国・浙江省の杭州にて
日本語教師として赴任中に出会った風景です!
雪だるまアート
私には「オペラ座の怪人」のファントムに見えましたが。。。
モデルさん?
可愛くしましたね~!
こんなおじさま、いますよね。
ステッキを持たせたい感じ(^w^)
急いでいたら、こんなアートは作れないはず。
許容範囲広めな車の持ち主。
間違えちゃった解答
学習者は、建設業の30代男性。
建設業の人なので、見た目は強い感じなのですが、間違いが可愛くて、写真を撮ってしまいました(´ω`)
惜しい国名
宿泊したホテルのテレビ台にあった、何かの一覧表です。
「ノルウぇー」
吐き気を催したか?
「スウヴェーデン」
強そうだ…!
OSAKA HOUSE
中国に「大阪屋」
お菓子屋さん?
ちょうど春節(中国のお正月)で、休業中でしたので、入店はしませんでしたが、
大阪にまつわるモノが売られているのでしょうか??
中国で、たこやきせんべいとか
お好み焼きソースとか買えたら
楽しそう(  ̄▽ ̄)
AN-PAN-MAN
スーパー(たしか、カルフール)で買ったパン。
アンパンマン…ですよね?
あの、アンパンマン…
異国での再開に心躍り、購入しました~(笑)
中国、おもしろい!
いかがでしたか?
中国は遊び心あふれる楽しい場所で、
滞在中も飽きませんでした(^w^)
是非、滞在先で「おもしろい風景」を探してみてください!
日本語教師になる方法!試験に受からなくても働ける◎
こんにちは!
ダグ嫁です!
過去記事を書いていて、日本語教師として働いていた時代が懐かしくなってしまいました(´`:)
今、とてもじゃないけど、主婦をしながら日本語教師は無理!!
懐かしさ<羨ましさ
が本音だったりします。
日本語教師は、年配の方も多いので、夫には
子育てと介護が
終わったら、
日本語教師を
再開するから!!
と宣誓しております(笑)
そんな私、日本語教師になるには欠かせない「日本語教育能力検定試験」に合格する前に、日本語教師として仕事をスタートしていました!
なかなか試験に受からない!と不安や焦りがある方の精神安定剤になると思いますので、ぜひご覧くださいね(^^)
日本語教師になるには
主に3つのパターンがあります。
(1)日本語教育能力検定試験に合格する
(2)大学を卒業し、420時間以上の養成講座を修了する
(3)大学で日本語教育を主専攻または副専攻し修了する
※2017年から入国管理局が定める「日本語教育機関の告示基準」が改定されたため、資格なしでは日本語教師として働くことはできなくなりました。
私が日本語教師になるまで
【22歳】大学で日本語教育を主専攻または副専攻し修了する
私は、大学で国際関係学を勉強していました。
日本語教育は副専攻でしたし、特に深く研究していたわけではありません。
(担当教授が怖かったので、深入りしなかった…が本音・笑)
【23歳】大学を卒業し、420時間以上の養成講座を修了する
日本語教育能力検定試験を受け続けていましたが、なかなか受からずにいました。
就職活動はせず、大学4年の冬(卒業論文が書き終わってから)420時間の養成講座に通い始めました。
ここがゆるくて、とても助かりました!(笑)
養成講座には、私が通っていた大学とはちがう大学の講師が、言語学や教授法を教えに来ていたのですが、
○○大学ね!
◎◎先生に教わったのね!
じゃあ、優秀ね!
副専攻の担当教授のネームバリュー凄すぎでしょ!!(゜Д゜;)
私もデキるって思われてるし!
教授法も甘く見て貰え、何かあれば声をかけていただきました。
※後々、就職先を紹介して頂け、日本語教師になれました!
日本語教育能力検定試験に受からない私なんかでも、遠くの人脈のおかげで手厚く面倒をみてもらえました。
【23歳】日本語教師として働き始める
養成講座の先生の紹介で、中国で働けることになりました!
検定試験に合格していないのに、という劣等感も少しありましたが、
ま、
なったモン勝ちでしょ
しかし、学習者には、検定試験に合格していようとなかろうと、
「私=日本語教師」に変わりないので、
とにかく、しっかりやり遂げて経験を積もう!
と、がむしゃらに頑張っていました。
【25歳】日本語教育能力検定試験に合格する
やっと…
やっと合格…
インドネシアでの勤務が終わった年、
浜松でブラジル人児童に教えながら勉強し、合格しました。
つまり、日本語教育能力検定試験に合格せずに、日本語教師をしていたわけです。
ちなみに、ブラジル人児童に教えてからは、結婚し日本語教師が続けられなくなりましたので、せっかく合格したのに、合格証書は宙ぶらりんです(´θ`llll)
ほんと、やっとやっと受かったのに…
日本語教育能力検定試験に受かっておくメリット
給与がアップする
インドネシアで働く際に、面接官に、日本語教育能力検定試験は合格しているか聞かれました。
「日本語教師検定」というものには合格していたので、その旨を伝えました。
後日、電話で、「合格したのは日本語教育能力検定試験でしたっけ?日本語教師検定でしたっけ?」と。
話を進めていくうちに、
日本語教育能力検定試験に合格していると、
給与+2万円/月
((((;゜Д゜))))
フリーズしましたね、電話中。
そんなに違うのか~!
日本語教育能力検定試験、
スゴイやつだっ!
お金の面を気になさる方、是非、頑張って就職より先に合格してください^_^;
知識より経験!だけど…
これだけは言えます。
検定試験の知識より、実体験!
学習者は、経験豊富な先生の方が良いと思ってますよね。
検定試験に合格していないという劣等感を持っているなら、
ボランティアでもネットででも、経験を積みましょう!
経験があれば、次に活かせます。
日本語教育能力検定試験に合格せずに日本語教師になろうと頑張っている方々、応援しています!
忍者vs侍 どっちが強い?外国人からの質問を検証してみた!
こんにちは! ご覧いただきまして、ありがとうございます! ダグ嫁です(^ー^)
日本語教師をしていた時の話を記事にしましたが、
https://www.dag-yome.com/entry/2019/11/16/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E6%95%99%E5%B8%AB%E3%82%92%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E2%91%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%A7%E3%81%AE%E3%81%8A%E4%BB%95%E4%BA%8Bwww.dag-yome.com
そこで出た珍質問
「忍者と侍が戦ったら、どちらが勝つの?」
一瞬、固まってしまいましたが(_; 一応、適当に答えて、その場はかわしましたが、
本当は、どちらが強いんだろう?
何事も探求! 検証します( ´,_ゝ`)
事の発端
珍質問は突然やってきました。 日本語の授業中、10歳の男の子が、
先生、
忍者とサムライは、
どっちが強いの?
えっっ!?
当時の私の回答
少々のシンキングタイムを頂き、子どもにわかりやすいように(心がけて)答えました。
サムライは、刀があるから、
強そうだよね。
忍者は早く走れるから、
サムライが来ても、
早く逃げられるね。
ん?
答えになってないような…( ̄▽ ̄;)
結局、どっちなんだーい!
今回の「忍者」と「侍」の定義
10歳の生徒の考える「忍者」と「侍」ですので、 ステレオタイプの塊のような忍者と侍で検証したいと思います。 専門的には、きっともっと奥が深いと思いますが、ご了承くださいm(__)m
忍者と侍の比較
忍者
Wikipediaによると、
忍者(にんじゃ)は、室町時代から江戸時代の日本で、大名や領主に仕え、また独立して諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺などを仕事としていたとされる。 その名は日本国内にとどまらず、世界的にもよく知られている。
武器
よく見聞きするものとして、
手裏剣 忍刀(しのびがたな) 撤菱(まきびし)-逃げる時に撒き、追っ手を負傷させる
あたりでしょうか。 これなら10歳も知っていそう。
ところで、手裏剣は、多くても4枚ほどしか携帯していなかったようです。
素早く動けるのは、修行のおかげもありますが、身軽な装備によるところもありそうです。
侍
Wikipediaによると、
侍(さむらい)は、古代から中世にかけての日本における官人の身分呼称、あるいはそこから発展的に生じた武士の別名である。
武器
戦い方の変遷を見ると、
騎乗時は槍で応戦し、下馬時は刀剣 ↓ 騎乗し太刀、薙刀で応戦 ↓ 騎乗時は刀剣だが、歩兵が主体の戦法に。
同時に、弓矢は使い続けられていました。 戦国時代には、銃も登場しました。
ただ、10歳くんの「侍」イメージは、 銃は持たず、刀で勝負する、 江戸時代の武士に近いかと思います。
一般の外国人の考える「サムライ」も、江戸時代の武士を指しているんじゃないかな?
ですので、「侍」は、 刀(加えるとしても、槍、素手)あたりで勝負するものとします。
どちらが強い?
忍者、侍 各人のクオリティ
「武器・武術を使えば確実にダメージを与えられるクオリティを持つ」という前提で考えていきます。
下っ端忍者や、元服直後の侍は除外です(^^;
攻めか、逃げか
忍者は逃げつつ攻め、 侍は攻めつつ逃げる(かわす)方式で進むと 考えられます。
忍者は、 逃げきる または 逃げながら攻撃が的中すれば勝利
侍は、 刀、槍が的中すれば、勝利
応戦範囲
忍者も侍も、動きながら攻撃できますが、 決定的な違いは、
忍者は、木の上などへ、上方移動ができる
侍は、基点を陸に置き、左右上下に向かって攻撃する
忍者が木の上に逃げ隠れてしまったら、 動きがあるまでじっと待つ となりそうな侍。
私の結論。
今、あの男子児童に答えるならば、 このようになります。
忍者の勝ち!
やはり、 上方からの攻撃が可能 移動が早い というのが大きいです!
侍は、武士道など精神的に強いんじゃないかな? 精神論で比べたら、侍が勝つかも?f(^ー^;
私の回答、ということで、 甘くみてください(;A´▽`A
良い回答が思い付いたら、また追記します(笑)
日々、勉強し、修行し、
鍛えていくことが大事!
今日も頑張りましょう!
今日も頑張った人、お疲れさまでした!
成功でも、不成功でも、
自分をねぎらい、整え、
また鍛える!
日々起きる、良い出来事、悪い出来事も、
自分の経験値にせよ!
日本語教師をしてました④浜松の定住ブラジル人児童
こんにちは! ご覧いただきまして、ありがとうございます! ダグ嫁です\(^_^)/
今回は、静岡県浜松市で
定住ブラジル人児童に教えた時の話です。
子どもに教えるのって、大変そうだと思っていましたが、
とても楽しく、新しい発見が多かったです!
夜間の大人向けの教室も受け持ちましたので、その様子も(^^)
ぜひご覧ください~♪
ブラジル人学校で
問い合わせてから一週間足らずで、採用決定しました(゜ロ゜)
そして、ナイジェリア人の上司が
明日から来てもらえます?
とりあえず、出勤します(笑)
プロジェクトについて
私が担当したのは、ブラジル人学校の1教室での「プロジェクト・アルコイリス」(「虹の架け橋」)というプロジェクトで、
日本の小学生に入りたいけど、語学力の面が不安で入れない子どもたちの日本語支援です。
国がすすめるプロジェクトなんですが、 特に教材や進め方に指定はなく、自由に授業を組み立てる感じです。
全員子どもだけど…
ブラジル人学校ですので、全国が18歳までの生徒です。
学校内部は、留年しなければ進級という形でしたが、
特にクラス内での年齢差は無さそうでした。
が!
アルコイリスは
年齢バラバラ!
レベルバラバラ!
アルファベットが書けない子もいる!
ある14歳の女の子は
しゃべれるけど~
漢字チョーむずい!
9歳男子は
せんせい、
オシリって
どこですか?
※わかってて、わざと言ってるやつです…
年齢が上でも、日本語が全くわからない子もいました。
そのような生徒が何か私に伝えたい時や、
難しい日本語をフォローしてほしい時は、アシスタントの先生がポルトガル語を使います。
あ、あと、怒られる時(笑)
教材が…
教材、指定されたものが無く、 「明日からよろしく!」な採用状況。
カオス!!
とりあえず、手持ちの「みんなのにほんご」初級、中級と、
中国・インドネシアで使用した教具を抱えて出勤!
レベルがバラバラなので、ほぼ家庭教師状態。
課題プリントを1人ずつ作成しておき、やっている間に他の生徒をみて…の繰り返しでまわります。
授業より、準備のほうが大変!
教室内の様子
喧嘩は、日常でしたね(笑) 私は、何が原因で喧嘩しているかわからないまま喧嘩を止めに入り、 生徒自身が、アシスタントの先生に状況を説明し、それを日本語で教えてもらう、という なんともめんどくさい場面が多々(´д`|||)
同じレベルの生徒が2人になることはなかったので、上のレベルの生徒に下のレベルに合わせて、ゲームをしてもらうこともありました。
授業の進みは悪かったと思います。
小さい子は、気分によって出来が違ってくるので、バッチリできていた内容も、
今日はできない~
やりたくない~
私、日本語教師じゃなくて、 幼稚園教諭っぽいことをしているなぁと(;´_ゝ`)
成人向け日本語教室
昼間は、学校で子どもたちに教えていましたが、3ヶ月後、夜におこなう成人クラスもやらないかと、お声がけいただきました。
仕事が終わってから、自分が苦手な日本語分野を鍛えて、日常生活に役立てるのが狙い。
これもまた、国のプロジェクトです。
週3回、18~20時におこないました。
老若男女&レベル天地の図
20代後半~70代のおばあちゃんまで、 ひらがなスタートもいれば、仕事での会話を磨きたい人もいる。
ニーズが多様すぎて、
対応できない!!
何を学びたいか
15人ほどいましたが、 15人ともレベルとニーズが違う。
1人で15通りの教え方は無理orz
そこで、 緊急アンケート。
「何を学びたいか」
これは、ストレートに聞き出したかったので、アシスタントの先生にポルトガル語で聞いてもらいました。
すると、多かったのが
「漢字」
「会話」
とりあえず、ブラジル人学校で使っていた漢字ワークブックを始めました。
知っている漢字でも、書き順やバランスに注意して書いてみて、と上級者に言ってまわり、初級者には、そばについて鉛筆を動かし…。
「なんとかなってた」のがすごい!(;・ω・)
終了の理由
昼の生徒への指導と、夜の大人への指導、 終了の日は突然やってきました。
国から補助金が
下りなくなって
嗚呼、厳しい財政でございます(T_T)
私も学習者も、 仕方がない、と割りきるしかないのですが、
日本で生活していて、語学の面で不自由を訴える外国人が多い現状を鑑みてのプロジェクトだったはずなのに… と、どうしても思ってしまいます。
しばらくは、 アルコイリスにいた、初級の子は、どうなるんだろう…と心が痛みました。
また機会があれば、「生活のための日本語」を教えられたらなぁと思います!
日本語教師をしてました③インドネシアでのお仕事話
こんにちは! ご覧いただき、ありがとうございます! ダグ嫁です\(^_^)/
日本語教師をしていた時代の話です。
今回は、インドネシアのバンドン。 「バンドン会議」の都市です。
仕事が決まるまで
仕事の内容
中国でのお仕事が終了し、 次の就職先を探していたら、 またまた420時間日本養成講座を受けていた学校からお声が。
次は
インドネシアなんだけど、
どう?
やりますっ!
養成講座の学校の経営母体である企業が、日本政府と提携しておこなうプロジェクトで、日本の病院や介護施設で働くことが決まっている外国人労働者の日本語教育。
日本インドネシア経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士育成
という名前の、 なにやら、すごいお仕事!
学習者は、 4ヶ月、バンドンで学習、 2ヶ月、日本の研修施設で学習、 その後は各病院、介護施設で働きます。
圧迫面接!
知らない会社じゃないし
融通きかないかなぁ~
と思っていた私、今から間に合うならビンタしたい(´д`|||)
国とタッグを組むプロジェクト=会社にとっても失敗できない 研修生の契約企業(病院等)が、比較的大規模 =苦情は出したくない 日本の未来を担う事業(医療現場の人手不足という日本の問題を解決できるかもしれない)
重い! その重さのぶん、 面接・模擬授業も厳しい!
養成講座の学校からテレビ電話で面接&模擬授業① 東京の本社で、模擬授業②
テレビ電話面接が、 精神をえぐり、つらかったぁ…
今の説明で、伝わらなかったら どうしますか
学習者に合った方法が
見つからなかったら
どうしますか?
どちらの質問も、今なら即答できるのですが、 当時はオドオドしてましたね(^-^;
テレビ電話が切れたら、全身の力が抜けたのを覚えています。
事前研修
千葉県の研修施設で、2泊3日の事前研修がありました。
新米さんからベテラン先生まで、経験値も年齢、性別も様々。 お話するだけでも、ためになります!
が、話だけじゃ済まされない…
グループに分かれて、グループでの模擬授業(指定された一課の中を分担して発表)
現地の基本情報や注意点について、有識者のお話
マナー研修
グループ模擬授業は、もうホント、大変の一言!! 夜2時までグループで相談し、その後は個人で発表する部分の調整作業で、
朝4時までかかりました
睡眠時間、2時間弱…
よくやったよ
自分…!!
自主勉強会
先生方は、居住地域も様々なので、 近くに住んでいる先生で集まって勉強会をしようという話に。
隣県の駅近くのファミレスに居座り、 授業の進め方、必要な教具、 海外生活のこと、 個人的な話(彼氏、彼女がいるか、とか・笑)
学生時代に帰ったような時間。 お仕事の集まりなんですが、ね(-.-)
みんな、最後まで脱落せずに頑張ろう!
と団結して終了。
その1ヶ月後、インドネシアに出発です!
バンドンでの生活
成田からジャカルタへ空路 ジャカルタからバンドンへは大型バスで移動しました。 教える場所は、バンドン市内の大学。 大学内に(なぜか)ホテルもあり、日本人一行は、そこに寝泊まりしました。
学習者
4クラスを1班とし、先生が分配されました。 私は、特に担任を持たず、班の中のクラスをまんべんなく回り、教える立場でした。
ざっくりと「看護師」「介護福祉士」でクラス分けされていて、私たちの班は介護福祉士の4クラスでした。
学習者は、独学で挨拶程度は学んだけれど、それ以外はサッパリ。 今回は、中国にいたコーディネーターさんのように、通訳してくれる人材はいませんでした。
日本語教師力が試されます!
使用教材
「日本語90日」をベースにした専用教科書 専用ワークブック 自作ワークプリント 各種テスト 会社作成 絵カード 会社作成 会話CD
朝、聞き取りテスト、書き取りテスト、ディクテーションなどが日替わりでおこなわれまさした。 学習者にはハードだったと思います(_)
ついていけないとか、寂しくなってしまい日本行きをやめたくなってしまった為、失踪する学習者もいましたね。 (お偉いさんが、自宅まで説得に行ってました(^-^;)
数人、脱落したと思います。
私は、教える側もハードでいっぱいいっぱいで、とてもフォローできず…
他の先生方も、同じ。
お偉いさんがいない日が多かったのは、 教える人に負担をかけさせない配慮だったのかなと思います。
私は、できるだけ楽しく学べるように、 体を使ったり、自由度の高い活動を多めに入れていました。
地震!
そんな中、バンドンで地震! 震度5か6くらいだと聞きました。
ビルが大きく揺れ、 天井は落ちかけ 学習者はパニックで、 揺れている最中に屋外へ逃げ出し… (教室があるのは4階です)
過呼吸になる人、 怪我をした人、 大変な1日でした。
今まで使っていた教室は、倒壊の恐れがあったので、 急遽、別棟での仮設教室作り。
授業再開は、一週間後でした。
日本大使館での壮行会
地震でバタバタしましたが、詰め込みまくって、4ヶ月のプログラム終了。
帰国便に乗る前に、ジャカルタの日本大使館での壮行会に、日本語教師陣も参加することに。 教師はスーツ着用、学習者はインドネシアの民族服バティックを身につけ、 決意を新たにしていました。
寂しくならないように「家族の見送り禁止」だったようです。
インドネシアの方って、 (良くも悪くも) 家族を大事にする、優しい気性のようです。
日本での勤務
教師陣、学習者=200名余を、 専用機(!)で成田まで。
そのまま、各クラスに分かれてバスに乗り込み、 箱根と熱海のあいだ(=山奥)の研修施設へ。
(逃げ出さないようにする為なのか、研修施設って、山奥が多いんですかね?)
初めての共同風呂でトラブってたり、 日本円に戸惑い、 お祈りの場所を確保するのも一苦労。
最初の数週間は、 本当に大変だったと思います。
ここから、教師陣も班をシャッフルし、私は看護師コースで教えることになりました。
専門用語の導入
インドネシアでの学習では、まだ専門に分かれていませんでした。 教科書は、医療系仕様にはなっていましたが、 本格的な、現場でするような会話は、まだ登場していませんでした。
看護師コースの場合、 「褥瘡(じょくそう)」「昏眠(こんみん)」など、日本人でも普通に生活していたら聞かない用語がたくさん!
まずは読み方から… 教える側も日々、勉強でした。
実習
実際に病院や介護施設で働いている方を講師に招き、 利用者さんとの会話の仕方や、 体位の換え方、 職場でのコミュニケーションのとり方など、
教科書では学べない「実際」を学ぶ機会が何度かありました。
ここらへんは、さすがにお手上げ。 優しい日本語で理解をフォローしたり、 利用者役を演じるくらいしか お手伝いできませんでした。
それでも、数週間後には、現場へ赴く学習者たち、 しっかり身につけていくのです…!
やっぱり、自分の興味がある分野って、 集中してのめり込めるんですね(^.^)
プログラム終了
冬だったので、夜、外に出て 流星群を見たり、 箱根や熱海市街地に観光に出てみたり、 (学習者カップルが熱海デートしていたなぁ…) 餅つき大会もしていたなぁ。
初めての日本を楽しんでいました。
1月中旬に、すべてのプログラムが終わりました。 各施設の担当者が、学習者を連れていくパターンと、 大型バスで近くの駅まで送られるパターン。
映画のお別れシーンの再現のようでした。
みんな、頑張ったね。 行ってらっしゃい! また、集まって話をしましょう!
6ヶ月が、こんなにも心動かされるなんて、 思っていませんでした。
本当に、ここまでよくやった! でも、彼らにとって大事なのはは「ここから」
最大限のエールを送り、お別れしました。
その後
2年後に、私が結婚したのですが、 披露宴に4人の教え子を招きました。
経済的な負担がないよう、宿泊費、交通費は全額出すという、日本人参列者以上にフォロー(  ̄▽ ̄)
AKB48のインドネシア版JKT48が出て来ていたので、 余興「ヘビーローテーション」を歌い踊ってもらいました(笑)
ノリノリ~
なのに、
みんな動きが揃ってない~(ノ´∀`*)
ま、練習しなかったよね~! (知ってた!笑)
まとめ
唯一つながっていたFacebookが、 私のページが乗っ取られ (未だに原因不明) 交流できなくなってしまったのですが、 みなさん元気にしているかな~?
学習者との出会いも、 日本語教師としての経験も、 忘れられない貴重な思い出です。
日本語教師、
やめられないっ!
今は、できてませんが、 また、復活したいなぁ。
日本語教師をしてました②中国・南京でのお仕事話
こんにちは!
ご覧いただきまして、ありがとうございます!
ダグ嫁です。
私が日本語教師をしていた時の話です。
今回は、中国・南京での話です(^^)
単身、中国へ
現地の担当者
中国・杭州でのお仕事の後、3ヶ月ほど充電期間があり、
また中国での勤務。
今回は、派遣された日本語教師は私だけ。
単身、成田空港から出発。
上海虹橋空港で出迎えてくれたのは、
杭州でご一緒したコーディネーターさんとは別の男性。
車に乗り込み1時間。
滞在するホテルに荷物を置き、授業をおこなうビルへ。
いくつかの企業が入るビルの4階。
エレベーターで中国人と一緒になると、
「見ない顔だな」と、上から下まで総チェックの視線(^-^;
今回のお仕事の現地のボスは女性。
ま~強そうな、頼もしい感じの女性。
その予想は的中!
授業中、おふざけが始まれば、中国語でピシャリ。
授業後も、日本での生活、就業の姿勢について、厳しく指導。
この様子、私も教室で、 コーディネーターさんの通訳で聞かされていました(笑)
時間を守りなさい
集中しなさい
上司の話を聞いて、確実に動きなさい
などなどなどなど……
日本の若者にも聞かせたいわ(((^_^;)
おもてなし①待たせない昼食
そんな女ボスなので、
「わざわざ日本から来て頂いた」形の私に対して、しっかりおもてなししてくれました。
毎日の昼食は、ビル1階の食堂で、
私が到着したらすぐに食べられるように厨房に手配してくれていました。
時間に厳しい日本人を待たせないのは当然という考えからだと思いますが、 まぁ、周りの目が痛い(-_-;) ラスト1週間くらいに、やっと慣れてきましたが(笑)
おもてなし②パンダ!
中国と言ったら
パンダでしょ!
と、軽く言ったら、
次の土曜日に、パンダがいる動物園へ連れていってくださいました!
さすが、仕事が早い(笑)
コーディネーターさんには
パンダ、パンダって、
先生はコドモですかっ!
とツッコミがありましたが、
見られるならラッキー!
コドモでオッケー!
日本の動物園の猿山のように、広々としたスペースにパンダ!
そして、何より感動したのは、
混んでない!
上野動物園は、並んで並んで、見られるのも短い時間だった気がするのですが、
パンダ前、人がいない!(笑)
何?
中国の人たち、
パンダ見飽きた??
ゆったりパンダタイム。 至福(。^。^。)
追記。 2017年6月、ある一団が、トラ展示コーナーにロバを放り込み、大問題に…(((((゜゜;)
私は2008年に行ったので、かなり平和でしたが、ちょっと怖いですね…
おもてなし③行列のできる小籠包
小籠包も、私がポロッと言った、
何気ない一言を拾ってくれて、
行列のできる有名店に連れて行ってくれました。
しかも、2店!
人生初の「はしご小籠包」(^^)v
一軒目は、行列すぎて、女ボスが店に苦情をいれていて
(そのおもてなし、ありがたいけど申し訳ない、なんとも言えない気分)
並んだだけあって、小振りだけどスープ満タンの熱々を頂き感動!
2軒目は、全然混んでいない、若者向けな店構え。
1軒目と違うのは、大きさ!
肉まんかっ!
と思うほどのボリューム。
中の肉汁を吸ってからパクリ!の小籠包ですご、
このサイズでは無理。
で、登場したのがストロー。
しかも、
タピオカ用の、
太いストロー!
何もかもビッグ。
しばらく小籠包は要らない…(笑)
おもてなし、
最高でしたよ、
女ボス…
おもてなし④朝ごはんに油条
授業中に、朝ごはんに何を食べたか聞いていたら、
「油条」というワードが。
コーディネーターさんに聞くと、典型的な朝食とのこと。
で、「おもてなし」実行!
翌朝、油条の朝食へ。
女ボスは忙しく、コーディネーターさんと。
揚げパンのシンプル版という感じでした(^^)
ただ、またまたデカイ(笑)
授業中、お腹がグルグル~
でも、私1人で色々な中国フードを味わうのは、かなり大変だったと思うので、 感謝感謝です\(^_^)/
帰国の途
朝早い便だったので、前泊。
心配だったのか、女ボスも隣の部屋に泊まり、
お見送りして頂きました。
できれば、空港リニアに乗せたかったらしいのですが、
タイミングが合わず、断念。
たくさんのおもてなしに感謝し、
お別れです。
日本で生きるための日本語教育
授業のこと、書いてないですね(爆)
クラスは、前回の杭州に比べて
少し荒れていました。
しかし、胆がすわってきた私。
やらなきゃ困りますよ、
皆さんが。
と言い放ち、スパルタ路線に変更。
研修生の場合、生活はもちろん、仕事にも直結します。
留学生は、日本で勉強する時間がありますが
(というか、勉強しに来るんですね。)
研修生は、日本に来たら仕事メインになるので、
体系立った日本語教育を受けられるのは、週1~2回です。
仕事ができても、コミュニケーションがとれなければ、長続きしませんし、 受け入れ企業にも研修生にも負担です。
サバイバル日本語教育です。
感謝されなくて良い
日本で
うまくやれる力を
つけたい
いま、感謝してくれてる学習者、いるかしら(笑)
日本語教師に限らず、教える立場の人は、「感謝」という見返りを求めてはいけないのかもしれません。
日本語教師をしてました①中国・杭州でのお仕事話
こんにちは! ご覧いただきまして、ありがとうございます! ダグ嫁です。
今は専業主婦ですが、 結婚前は日本語教師をしていました。
中国・杭州/江蘇省:建設業研修生 インドネシア・バンドン:EPA看護・介護福祉士研修生 日本・浜松:ブラジル人児童
地域も年齢もレベルも様々。 とっても良い経験でした!
日本語教師を目指している方、 現役日本語教師の方、 なんか面白そうだなと思った方(大事!(^^))
今回は、中国・杭州の話です。
ぜひ、ご覧ください~♪
#
中国・杭州で働くまでの話
面接&模擬授業
大学卒業後、420時間の日本語教師養成講座を修了しました。 修了間際、「日本語教授法」の先生から、
とお誘いをいただきまして、 断る理由もないし、 間を開けずに働き始められるかもしれないし、 すぐ面接して頂くことに!
推薦があるとは言え、模擬授業はしっかりあります。
課題は、ど定番の 「て形」の作り方と使用法
大学の授業でも
420時間養成講座でもやってたし
バッチリでしょ!
と、自信満々な、若造ダグ嫁。。。
しかし、当日、 東京行きの高速バスが渋滞にはまり、 (交通費をケチるんじゃなかった…)
会社に謝罪の電話を入れ、 30分ほど遅れて到着。
会社ですが、マンションの一室。 リビングに通して頂き、 息を切らせて模擬授業の準備!
遅刻した精神的ダメージが、ここで出た! ( ̄□ ̄;)!!
段取りがブッ飛ぶ!!
Ⅰグループから
やるんだっけ?
特殊なⅢグループから
済ますんだっけ?
あのときのことは、あまり覚えていませんが、 社長さんとコーディネーターさんは、 初心者マークを何個もつけたような私の労をねぎらってくださいました(。´Д⊂)
模擬授業の後で、模擬授業の振り返りと、お仕事についての話。
とにかく恥ずかしかった!
後から聞くと、ごもっともな指摘が多々。
新米教師は、
何事も勉強!吸収!反省!
次に活かせるよう、
善処しますっ
という姿勢が良かったのか、
無事に合格!
半年後に、中国の杭州に行き、
1ヶ月教え、
日本に帰国後、専用の研修施設(山奥)で1ヶ月教えることに。
1日50分×6コマを2ヶ月続けるのは、新米教師には試練です。
しかし、です。
2ヶ月=40日
6コマ×40日=240コマ の実績!
新米教師には、こんなコマ数、受け持たせてもらえません。
次回の就職にも、かなり強い数字。
これを励みに頑張りました(笑)
いざ、中国へ!
恵まれた環境
事前に、勉強会兼他クラスの先生2名(50代&70代女性)との顔合わせを済ませ、
いざ、中国の地へ!
中国では、現地のコーディネーターさんが、生活のお世話までしてくださることになっています。
滞在中は、杭州市内のホテル住まい! 新米のクセに~(´・ω・`)
ほんと、そうです。 その通り、です。
なので、ほとんど「何とかなる」状態。 コーディネーターさんには、
授業中、本当に理解に苦しんでいそうな時に、学生に中国語で手助けする
平日の昼食の手配
土日に観光地へ同行(笑)
などをしていただき、特に不便なく過ごしました。 印刷物も、お願いしたらコピーしてきてくれるし、 至れり尽くせりで、新米のくせに、下っ端みたいな仕事はしていなかったような…。
本当に、恵まれていたと思います。
授業のこと
「みんなの日本語」ベースの、専用教科書 専用ワークプリント 自作ワークプリント 専用の確認テスト
を使って進めていきました。
ほとんどの学習者が、ゼロ初級。 つまり、日本語は話せず、ひらがなも読み書きできない状態。
私は、ゼロ初級のほうが、やりがいがあって、日本語を楽しんでいる様子がダイレクトに見えるので好きなんです。
ジェスチャーやレアリア(実物教材)を駆使して、もはやパントマイムな授業も、楽しいんですよね(^-^)
ただ、ね。
事前に名簿を貰っていたので、 解っちゃいたんですが、
20人、全員、男!!
しかも、ほとんどが20代後半~30代。 最高齢45歳!
95パーセントが、私より年上の男性!!
なかなか無い状況…。
しかも、 偏見かもしれませんが、 建築業(現場)の男性って、 体力的にも精神的にも強い!
ストレートに言わせてもらうと、 オラオラ系! (関係者の方、気分を害したらすみません!)
しかし、日本の企業と契約し、 日本に行き働くことが決まっている身なので、 学習態度は、まぁまぁ良いのです。
成績が良くも悪くも、 企業に報告されるというのもありますが。。。
中国での生活
海外旅行や、一週間のワーキングホリデーもどきの経験がありましたが、 1ヶ月も海外に滞在したことはなかったです。 ただ、ネット環境もあるし、コーディネーターさんかいるから、トラブルはおまかせできちゃうし、 あまり不安は無かったです。
ただ、後から知った「海外生活あるある」ですが、
急に高熱が出る
これは…困った!Σ(×_×;)!
中国の薬を飲むべきか? そもそも、どこに売ってる? コーディネーターさんに、私に合う薬を買ってきてと頼むのは難しい。 (口に入れるものだし、何かあったら責任とれないだろうし)
結局、日本で売っている薬の中国バージョンを購入し、数錠飲みました。 (不安になり、途中で飲むのをやめました…)
あとは、JICAで中国に来ていた大学時代の友人が杭州に来てくれて、西湖を観光しました。
一緒に働いていた50代の先生が、以前働いていた、杭州市街地の日本語学校へ行って、現地の学校の様子を見させてもらったり。
中国も、日本語教師のお仕事も満喫できた、 充実の1ヶ月でした!
帰国したら、また1ヶ月、同じ学習者に教えるのですが、 海外で教えるのと、日本で教えるのとでは、 緊張感や、やりがいや、 融通…やっぱり色々違いました。
良い経験を
させていただきました!
カラダ的にも、ココロ的にも、
日々、勉強し、修行し、
鍛えていくことが大事!
今日も頑張りましょう!
今日も頑張った人、お疲れさまでした!
成功でも、不成功でも、
自分をねぎらい、整え、
また鍛える!
日々起きる、良い出来事、悪い出来事も、
自分の経験値にせよ!